nonamenonanashi’s blog

父親の最後を忘れない為の日記

父親の死⑥

主治医の勧めもあり大腸癌ステージ4の父親が病院よりも家で過ごす事を選んだ

ずっと家族で暮らしてきた家だ

ここに居たいに決まってる

11月28日、自分は朝から定時まで仕事に行き、母親は訪問看護の人達との打ち合わせ等で病院に行った

母親によると、父親は自力でトイレに行こうと頑張って起き上がり歩いていったが、途中で歩けなくなり座り込んでいる所を発見されたらしい

恐らく、下の世話になりたくなかったのだろう

誰だって下の世話になりたくないと思う

いつも自力でトイレに行っていたようだ

本当に退院させて大丈夫なのか聞くと、家に帰るのならもう今しかないし、父親も帰りたいと言う

父親には少しだけどメールと電話でやり取り

14時に迎えに行くよとメールすると

あしたはよろしく

と返事が来た

11月29日、仕事に行き上司に父親が退院する事と半日で早退する事、部署のみんなには家の都合で半日で早退する事を伝える

着替えて帰る準備をしているとやはり他の部署の人達から、あれ?帰るの?と聞かれる

用事があって…と答える

帰宅して昼食を食べ、母親と病院に向かう

父親と面会し少し話す

父親の左手首には先日自分が買ってきた癌封じの御守りが結んであった

御守りをしていてくれて嬉しかった

御守りが守ってくれるから大丈夫だよ、と言うと父親は大きく頷く

主治医や看護師達と話し、お世話になりましたありがとうございましたと伝える

介護は大変なので無理せずいつでも病院に戻していいです、お母さん絶対に無理はしないでください、と言ってくれた

それから12月7日に外来の予約を入れておいたので、また病院に来てください、ただそこまで家に居られるかどうか…と主治医が言っていたが、自分には違う意味に聞こえてしまった…

家で楽しく過ごしてきてください、と送り出される

父親は自力で歩くのが厳しくなってきたので車椅子

介護タクシーを呼んで帰ることになった

一緒に帰ろう、と父親に声をかけ手を握ると父親も握り返してきた

病院を出るまで父親はずっと力強く手を握っていた

父親はあまり本音を言わないし口数も少ない

寂しかったんだろう、辛かったんだろう、苦しかったんだろう

そう思うと手を離せなかった

車椅子ごと介護タクシーに乗せ母親と自分も乗り帰宅

父親を何とか介護ベッドに乗せ、しばらくすると訪問看護の人達が来て、今後の方針やオムツの交換の仕方、薬の管理の仕方等説明を受ける

家での介護が始まった