nonamenonanashi’s blog

父親の最後を忘れない為の日記

父親の死⑩

12月3日早朝、再び父親が入院した

母親も自分も救急車に同乗したので病院から帰りの足がなく、まだ暗くて寒い中を歩いて帰った

訪問看護に頼んでいたものの、自分が仕事に行った後は帰宅するまで母親1人での介護になるので、父親を家に居させられるのも自分が休みのこの日曜日までが限界と考えていた

出来れば午後までは居させてあげたかったが…

そうも言っていられなくなってしまった…

不安と寝不足と精神的な疲れから何もする気にならず、朝食後はしばらく寝ていた

とりあえず買い物には行ったがやはり何もする気にならずゴロゴロ寝ていた

12月4日、仕事に行く気にもなれなかったが仕方なく会社へ

10時の休憩時にスマホを見ると母親からメール

病院から電話があり、15時に主治医から説明があるので息子と一緒に来てほしいとの事

上司と部署のみんなに半日で早退する事を伝え、帰宅し昼食後に病院に向かう

主治医からの説明では、父親が体力的に厳しいので検査はしていないがやはり進行が早い、腸が活動していないので飲んでも吐いてしまう、下痢が止まらない、今後は苦しまないように医療用の麻薬、モルヒネ睡眠薬を使用するかも知れないとの事

母親が、後どれくらいまで…と聞くと、もういつどうなってもおかしくないとの事…

始めは年を越せるかな?2月の誕生日までは…なんて思っていたが…

とにかく進行が早いようだ…

ずっと寝ているせいか?

痴呆症の症状が出始めているかも知れないので無意識にチューブを抜こうとするような行動が見られた場合は手袋をつけるとの事…

父親はもう車椅子に乗せる事も出来ず、ベッドを個室に移動しての面会となった

特に時間の制限はしないと言ってもらえた

腹水が溜まってきていてお腹が膨らんでいる…

あまり声も出なくなっているので筆談とジェスチャーでやり取りする

俺の事わかる?と聞くと

わかる

お母さんの事わかる?名前わかる?と聞くと

母親の名前を漢字で書いてくれたのでそれを写真に撮った

持ってきて欲しいものは、スマホ、ラジオ、ひげ剃り、R1と書く

30分くらい居ただろうか、父親も疲れてしまったようで、荷物は明日持ってくるから待っててと約束し帰宅する

父親に残された時間はあとわずかなのだろうと覚悟した…